風鳴 翼とセネカに学ぶ生き方

はじめに

この記事はシンフォギア Advent Calendar 2017の5日目です。
2017年も残りわずかですが、友人に勧められて2012年に1月〜3月に放送された第1期「戦姫絶唱シンフォギア」を見ました。もうすぐ放送されてから丸6年経過するので大丈夫だと思いますが、ネタバレを含みますのでご注意下さい。
 
セネカは紀元前4年頃から紀元65年まで生きたローマの政治家です。哲学者ではありませんが思想史にも足跡を残しました。

生と死とシンフォギア

装者の覚悟

シンフォギアをまとう装者は常に死と隣合わせです。
命を削る絶唱(*)を切り札とする彼女達は常に生と死の選択を迫られています。
 
そのような境遇で装者の1人である風鳴 翼はどう生きてきたか。
セネカの「人生の短さについて」に収められている警句を見ながら、彼女の「この身を一振りの剣と鍛えてきた」 姿を考察します。
   
* 特定の波長を持つ歌声をトリガーに秘めた力を開放された聖遺物が、歌声の持ち主に人ならざる力(シンフォギア)を与える。装者はその力を以てそれぞれが大切なものを守るため、人を消し炭に変えてしまう謎の生命体ノイズと戦う。しかしシンフォギアが与えるのは力のみではない。特に絶唱と呼ばれる力の解放では装者にも重篤なダメージが残り、最悪の場合、死に至る。

多くの者たちは他人の運命のために努力するか、あるいは自分の運命を嘆くかに関心をもっている

セネカは語る。
本来、人の一生は十分に長い。しかし多くの人はそれと意識せず他人のために時間を使うか、余計な思い煩いに費やしてしまう。

翼はまさに自らの運命のために戦い続けてきました。
それは一時、友を失った贖罪でもありましたが、ひたむきに生きる姿は見事。
怠けることなく、余計な野心もない。
 
さらに、文字通りの死線を乗り越えて、彼女は心の在り方を見直します。
自らの心の声に耳を傾け前を向く9話の姿は感動無しに見られません。
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自分の声をもっと多くの人に届けたいと、海外進出についてファンに語る翼
アニメ:戦姫絶唱シンフォギア(第1期)/ ©Project シンフォギア

長く生きたのではなく、長く有ったにすぎない

セネカは警鐘を鳴らす。
あちらこちらへと周囲に振り回される人生は、長く生きたとは言えない。
ただ長く翻弄されただけであると。

翼は自らの役割を決して忘れません。
時には防人として命も賭けます。
むしろ目的を見続けるが故に周囲も本来の自分も目に入らなくなってしまうことがあるくらいです。
 
けれど、彼女が歩みを止めることはありません。
まさに生きている。
そして彼女には、そんな彼女に気を配ってくる奏がいたし、今は響がいるのです。
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響に誘われお忍びで街へ繰り出す翼
アニメ:戦姫絶唱シンフォギア(第1期)/ ©Project シンフォギア

彼らは夜の来るのを待ち焦がれて昼を失い、朝の来るのを恐れて夜を失う

セネカは嘆く。
人々は不安から快楽を求め、手に入れると今度は失う不安に苛まれる。
そしてその不安を埋め合わせるために...
不安に囚われているうちに本来活用すべき現在をも失ってしまい、人生が短くなるのだ。

翼は過去を忘れません。現在を生き、未来を守ります。
奏はもういませんが、彼女と共にあり、力を与え続けてくれています。
そして守りたい大切なものが、未来が彼女に力を与えます。
 
過去と未来から力を得、現在に時を集めて輝く者セネカ賢者と呼びました。
その真っ直ぐな姿を見習いたいものです。
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奏に導かれる翼
アニメ:戦姫絶唱シンフォギア(第1期)/ ©Project シンフォギア

1期の感想

難しいことを考えずに感じるアニメだと勧められて見たアニメですが、図らずも生きるとはどういうことかについてあらためて考える機会となりました。1期の作画は微妙ですが、個々のキャラクターはかわいいところもありますし、戦闘系アニメとしても楽しむことができると思います。2期以降も見てみたいと思っています。

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